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尼崎簡易裁判所 昭和30年(ハ)180号 判決 1956年10月06日

原告

原マツエ

被告

陰山栄太郎

主文

被告は原告に対し金参万六千七百七拾弐円を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを弐分し、その壱を原告、その余を被告の各負担とする。

この判決は、原告において被告に対し金壱万弐千円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告がその実弟である訴外永田重雄の被告に対する借用金につき連帯保証人となつていたが、右訴外人及び原告がその弁済期日に弁済しなかつたので、被告が原告に対し強制執行をなしたところ、原告がこれに対し、停止決定を得て停止せしめたことについては、当事者間に争いなく、原告は、被告は昭和三十年七月十九日午後八時三十分頃原告宅に無断侵入し、右強制執行を停止せしめたことに因念をつけ、原告の前胸部を蹴り上げ、原告を失心せしめ、胸骨皸裂骨折の傷害を与え、その傷害は現在なお治癒せず、完全に治癒する見込もない、と主張し、被告は原告主張の日、右強制執行停止のことにつき、原告に交渉すべく、原告に対し来訪を求めたが応じないので、自ら原告方に赴いたところ、原告自身が被告の手首をはね上げ、また被告の手をたたいたので、被告は恰も立上つた際でもあり、つい素足で原告の胸を後に押しただけであり、原告主張の如き傷害を加えたことはない、原告は被告に押されたことを奇貨として被告からの借用金を棒引にしようと企て虚偽の主張をしているのである、と争うので考えるに、証人原満、同城一雄、同広谷巌、同谷森久信、同清水源一郎の各証言、原被告本人の各供述、及び鑑定人清水源一郎の鑑定書、成立に争いのない甲第一乃至第三号証各診断書、乙第三号証の一乃至三各レントゲン写真、乙第四号証民事調停申立書を綜合すると、原告及び前記訴外永田重雄は同訴外人の被告に対する借用金の弁済期日たる昭和二十九年九月末日にこれが弁済をせず、徒にこれを延引するのみであつたので、被告が原告に対し、昭和三十年七月六日、強制執行に著手したところ、その競売期日たる同年七月十九日当日に至つて、原告及び右訴外人が当庁に、毎月金二千円程度宛の分割弁済にするとの調停を求める申立をなした上、強制執行停止決定を得て、右競売を阻止したので、被告は憤慨おくあたわず、原告の右措置を難詰すべく、妻や娘を使にして原告の来訪を求めたのに拘らず、原告がこれに応じなかつたので、同日午後八時頃、自ら原告方に赴き、「二千円とは何だ」などと原告の右措置を難詰したのに対し、原告が種々弁解した末「話は裁判所でしませう」とか「もう帰つて下さい」と言うのに、被告がなおも原告に対し、何だ彼だと難詰を続けたので、原告が一寸待つてくれるよう言いつつ手をさしのべ被告の腕に触つたところ、被告は突然立上り、右足で原告の左胸を蹴つたのであり、因つて原告は当夜より同年九月二日まで治療を要した胸骨皸裂骨折の傷害を与えたことが認められ、原被告本人の各供述中、右認定に反する部分はこれを信用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。被告は、原告自身が先に被告の手首をはね上げ、また被告の手をたたいたと主張するけれども、そのような証拠はない。被告は、仮に被告の右行為によつて原告において右胸骨皸裂骨折を生じたものであるとしても、原告は特異体質の所有者であり、そのためにこの結果が生じたのであつて、通常は生じなかつたものであるから、被告の右行為との間に相当因果関係がない、と主張し、鑑定人清水源一郎の鑑定書によれば、当時原告は極めて少食家か偏食家か或は病弱であつたゝめ、極めて僅少な外力によつても骨折を起し易い状態にあつた人に相違なく、そのことは肋骨、脊椎骨などのエツキス線影像を見ても、極めて非力な人であることができる、と述ベているのであるが、然しながら、右のようなことだけで特異体質というわけにはいかず、現に右鑑定書の中に、同鑑定人が昭和十六、十七年の二ケ年間軍医として在満当時軍人の中にかなり多数に見られ、且つその後阪大病院で終戦前後三十才から五十才位までの特に女子に多く見られた所謂病的又は特発骨折(同鑑定人が始めて発見したので、清水氏骨折と仮称)に属するもののようである旨述べているのであつて、その所謂病的又は特発とは決して特異な結果とか稀有な珍らしい結果と言う意味とは考えられず、従つて被告の右主張は採用できないところである。而して右傷害の治癒については、証人広谷巖、同谷森久信は、昭和三十年八月二十六日には治癒していたと見られるが如き証言をしているが、各証言全体から見れば必らずしもその日には治癒していたと言うのでもなく、本件傷害治療の主治医であつた医師広谷巖作成の甲第三号証診断書に記載してある昭和三十年九月二日に治癒したものと考えるべきである。原告が提出した成立に争いのない甲第四号証診断書によれば、原告は昭和三十年十月六日現在において左肋間神経痛を罹病中のようにも見れるが、その診断書を作成した医師谷森久信の証言によれば、それはその日には治癒していたものを、それまでの病気という意味で記載したものであるとも言い、また原告本人の供述によれば、今なお神経痛を罹病中であるが如くでもあるのではあるが、元来俗に言う四十型、五十型などと言われる神経痛なるものは、その原因が不明であること証人谷森久信、同清水源一郎の各証言する通りであり、右の左肋間神経痛或は現在の神経痛が、本件傷害によつて惹起されたものであり、そしてそれは通常の結果であるとは考えられず、そのことは原告の全立証によるも不明である。

以上認定の通りであるから、被告は故意に原告に右認定の傷害を与えたものと言うべく、この傷害によつて原告において生じた損害を賠償する責任のあることは言うまでもないところである。

よつて進んで、原告において、右傷害によつて生じた損害について考える。原告は、先ず、昭和三十年七月十九日以降同年九月十四日までの薬価、診察費その他の療養合計金一万二百四十五円を要した旨を主張し、成立に争いのない甲第五号証の一乃至二四各領収証、甲第六号証の一乃至一九各領収証、原告本人の供述により真正に成立したと認められる甲第八号証領収証によれば、その合計は金一万二千百十円となるのであるが、このうち前記の如く昭和三十年九月二日即ち全治した日の後である甲第五号証の二一、二二の金四百五十円、甲第六号証の一九の金百二十円は当然控除すべく、また甲第五号証の一四、一七及び二四の金四百円は文書料即ち診断書であることが、証人谷森久信の証言及び原告本人の供述によつて認められるのであり、本件傷害の治療には診断書は不要であるから、これも控除すべく甲第五号証の八の金二百円は体温計の代金であるが、体温計は普通の家庭では一本を常備すべきものであり、これを受傷後半月位して買つたとしても、それは前に原告が所有していた体温計を買い替えたものであろうと推測されるのであり、これも本件傷害によるのであり、これも本件傷害による損害と見るべきでないから控除すべく、甲第六号証の一、三、六、七、九、一一、一三、一七の牛肉及びハム代金計八百五十円は、勿論原告以外の家族の食料というわけではなかつたであろうけれども、鑑定人清水源一郎の鑑定書及び同人の証言によれば、原告には本件傷害とは関係なく必要なものであつたのであり、且つ普通人ならば、受傷の日から全治までの日数である四十五日間位にはそれ位の動物蛋白質を摂取するものであると言うべきであるから、これまた控除すべく、甲第六号証の四の金二百五十円は果物代であり、果物を食することのよいことは勿論であるにしても、本件傷害の治療には果物はなくてよいものであることは、証人広谷巖、同谷森久信、同清水源一郎の各証言より当然推定せられることであるから、これまた控除すべく、甲第六号証の八の金六百十六円は、牛乳四十四本の代金であるがそれが受傷後の昭和三十年七月二十日から同月末日に至る間のものとしては不合理な数量であり、原告本人の供述によつても、家族の飲用した分の混入していることが明瞭であり、これを甲第六号証の一八と比較すれば、一日に一本程度の飲用であつたと見るべく、然らば右金員中より十九本分金四百四十八円を控除すべく、また甲第六号証の一四、一五は同じ日に同じ店で卵を十個宛買つたと言う領収証と考えられるのであるが、これは領収証が二重になつたものと解すべく、従つて一つ分の金百二十円を控除すべきであり、従つて合計金二千八百三十八円を控除した金九千二百七十二円が正当な薬価、その他の療養費と考えられる。証人広谷巖、同谷森久信、同清水源一郎の各証言によれば、栄養につき、本件傷害に対しては、特に考慮する必要はなかつたようでもあるけれども、一日一本の牛乳、一日一個乃至二個の卵位は負傷者としては当然のことであり、また右証人等はいずれも、本件傷害については、安静にしておればよく、特別の療養を要しない旨証言しているが、然しながら、それは係医師の言に従つた手当或は常識上当然なすであろう手当までをも否定したものと言うべきではなく、原告本人の供述によれば患部を氷でひやすように言われたとのことであり、また湿布については、骨折を悪化させないようにするために常識上必要であつたものと言うべきであり、家政婦を雇入れたことについても、家族に手がない以上致方のない措置であつたと言うべく、従つて氷代、しつぷ、薬代、家政婦代も本件傷害によつて蒙つた損害と言うべきである。次に原告は、現在内科の方に病を来し、その全快の時期不明であるが、一応安心して働ける程度に治癒するまでは、今後四ケ月を要し、その間の療養費として金一万二千円を要する、と主張するけれども、原告の全立証によるも、現在内科の方に病があり、それが本件傷害の当然の結果であることの証明がないから、今後の治療費の請求は失当である。次に原告は、従来染物業を営み、毎月金一万五千円程度の収入を得ていたのであるが、被告の右不法行為により少くとも三ケ月間全然この収入を得ることができなかつたのであり、その得べかりし利益として金四万五千円を失つたと主張するのであり、証人岡崎政信(二回)、同岡島千鶴の各証言、原告本人の供述及び証人岡崎政信の証言により真正に成立したことの認められる甲第七号証証明書並びに原告の弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は従来染物悉皆業を営み、未亡人会の後援などもあつて、細い点になれば、種々疑問もないわけではないが、月大体金一万五千円位の収入を得ていたことが認められるのであり、本件傷害により、その治癒するまで安静を要したため、右営業をなし得なかつたことは当然であり、従つて受傷の翌日である昭和三十年七月二十日から治癒した同年九月二日までの得べかりし利益金二万二千五百円を、本件傷害のために失つたものであり、これを被告は賠償すべきである。最後に原告は、原告は被告の右不法行為によつて深刻な精神的打撃を受けたのみならず、終生前記傷害の結果併発した病状即ち左肋間神経痛に対する危惧の念を抱いて生活しなければならないのであり、子供達を支える一家の主婦として今後の生計に支障を来した事実は、何物にも代え難い無形の損害であり、これが慰藉料として金三万円を請求する、と言うのであり、本件傷害により、原告が相当の精神的打撃を受けたであろうことは推測するに難くないのであり被告はこれを慰藉する責任があるのであるが、本件傷害に至つた動機は、原告がその実弟永田重雄の被告に対する借用金につき連帯保証人となり、原告及び右訴外人において、弁済期日に弁済せず、徒に延引を重ねた上、被告が原告に対し強制執行をなすや、その競売当日になつて、毎月金二千円程度の分割支払の調停を申立てた上、即日その競売を阻止したので被告が憤慨したものであること、被告の難詰に対して原告も必らずしも負けてはいなかつたことなどが前記認定の通りであること、原告は、会員数や性格について必らずしも明らかではないが大庄地区未亡人会の会長であり、嫁入り前の娘一人と十五、六歳の男の子一人とを抱えた一家の中心人物であること、及び本件傷害が既に前記の如く全治しているのであり、傷害としては原告の考えるほど重大なものとは言えないものであつたこと等の事情を綜合して考察するときは、原告の精神的打撃を慰藉するには、金五千円をもつて必要にして且つ十分であると考える。以上要するに、被告は原告に対し、合計金三万六千七百七十二円を支払うべきものであり、原告の請求中これを超過する部分は失当である。

以上の通りであつて、原告の請求は金三万六千七百七十二円の支払を求める限度において正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却し、民事訴訟法第九十二条及び第百九十六条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 山口幾次郎)

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